ブラック研究室での生活を赤裸々に書く 1年目前期編
理系修士時代にブラック研究室にいた時の話をします 1年目前期編
私のブログPV数は大した事ないのですが、その中でブラック研究室関係の記事は割と見てもらえています。
特に研究室から失踪した博士課程Yさんの記事はそこそこPV数を取っています。まぁ普通に事件でしたし。
そこで需要があるかどうかは分かりませんがブラック研究室に入ってから卒業するまでの軌跡を書いていこうと思います。
ブラック研究室の定義はこちらのリンクから見れます。
これから研究室を選ぼうと思っている人がいれば是非参考にしてもらえれば幸いです。
大学院への入学~最初の実験(6月末まで)
話はまず大学院への入学からです。
私は大学の理系学部を卒業して大学院に入学する際に、学部で入っていた研究室とは異なる研究室に入ることにしました。
もともとの研究室はシミュレーション系と呼ばれる内容だったのですが、実際に実験などをしてみたいなと思って設備を持っている研究室にしたのが理由です。
ちなみに私の大学は複数のキャンパスがあったので、大学院で入る研究室は学部とは異なるキャンパスにあったため入学前に十分な情報収集が出来ませんでした。
私も当時は若かったので実験系ならどこでも良いと思っていました。今考えるとここが最大の失敗ですね。
そして運命の入学式が始まります。
くっそ面白くもない学長のありがたいお言葉を聞き無事大学院への入学を果たしました。
そして研究室に移動して新入学者2名の同期と一緒に教授への挨拶をしました。
この時はまだ充実しながらも楽しい研究活動を行えると信じていました。
事実、この時はまだ教授は優しく特に不満はありませんでした。そう、毎週実施される研究報告会に参加するまではね。
研究報告会とは毎週ある「研究内容の進捗」を報告する会議で、ここでレポートを提出しないと単位が貰えなくなります。簡単に言うとレポートを相当数出さないと留年ですね。
そのためうちの研究室では死に物狂いで実験をしてレポートを書く必要があるんです。
そして研究報告会では提出したレポートを元に一人ずつ内容を説明していきます。
これが地獄でした。教授は学部生や修士学生に対してはそこまで厳しくはないのですが博士課程にはめちゃくちゃ厳しく内容を詰めますし罵声を浴びせます。
私は修士だったのでそこまで厳しくは言われませんでしたが、博士課程の人たちが凄まじく叱られているのを見るだけでも結構つらかったです。
だいたい以下のような内容を言われていましたね。
- なんだこのレポートは?卒業する気ないの?
- こりゃ留年して自分の能力を見つめなおした方がいいよ
- こんな適当な実験をしといて博士名乗れると思う?
- 実験が全然足りないよ。寝てる暇なんて無いよ
まぁもっと色々とありましたがとにかく大声でキレながら劇詰めして他の人たちは何も言わないという時間でしたね。これが8時半~11時半くらいまで続きます。
さすがにキツかったですし、はじめてこの報告会に参加したときは絶句&絶望しましたね。
入る研究室をもっと選べばよかったと後悔しても後の祭りです。皆さんは厳しい環境を望んでいないならちゃんと研究室選びはしっかりしましょう。
ただこの記事はまだ修士2年間のあいだで一番楽な時期でしたね。
修士2年だった先輩方の指導のもと、初めての実験とレポートを作成して毎日勉強をしていたぐらいです。
起きている間はほぼ勉強していましたがその程度なら全然普通ですね。
ここに研究室の基本情報をまとめておきますね。
- 基本的に日曜日以外は必ず研究室にくること
- 研究室のコアタイムは9時~教授が帰るまで
- 学生には位置情報が分かる端末を持たせる
上記の内容だけだったらそこまで厳しくありません。
これが辛くなってくるのが夏休み入ってからぐらいでしたね。
夏休みに入ってからも続く研究室
夏休みに入ってから本格的に研究室の異常性が見えてきました。
もう私の研究テーマは決まっており実験する内容は固まっていました。当然修士課程なので夏休みでも全て休むわけにはいきません。
ただ夏休みなんだから週4日もくればOKだろ!って思っていたら教授が提示してきた条件は最低でも週5日でした。
この研究室では基本的に日曜日以外は出席して実験する必要があるのですが、さすがに夏休みぐらいは遊んだりインターン活動などを出来ると思っていたので結構絶望しました。
隣の研究室などは非常にホワイト研究室だったので夏休みに見かけたこともありません。
というか普通に夏休みも研究報告会がありました。レポートを出していかないと単位が貰えないので平日は全て出席しましたし、土曜日に実験を入れる事もしました。
そうなるとやはり精神的に疲弊します。
特に私の同期だった東南アジア出身の学生はこの時点でだいぶ狂っており、勉強するのが非常に苦痛だとよく私に相談してきました。
ただ私なんぞに相談されても何も解決しません。簡単なメンタルケアをする程度です。
このあたりで新しく研究室に入った人たちは元気がなくなり、研究室全体の雰囲気が重くなりました。
しかし、この修士1年という期間は卒業後に企業に入ろうと思っている人にとっては非常に重要な時期になります。
私が学生だった時に就活の解禁は12月、面接解禁は4月でした。つまりそれまでに専門性を身に着けないと就活で苦戦してしまうという恐怖感があったのです。
特に修士で研究室を変えている人が多い私の研究室ではなおさらな問題でした。
そんなモチベーションは上がらないけど頑張らなければいけないという生煮え地獄を味わっていた我々に、ちょっとした新しい風が吹いてきました。
他の研究室から新しい人が来た
だいぶ研究室の雰囲気が重かった7月ごろに研究室に新しいメンバーが入ります。
普通こんな中途半端な時期に新人が入ることはありませんが、どうやらその新人は所属する研究室とあまりにも合わず、実験系のうちの研究室に来たいと言い出したらしいです。
やはりどんな時でも新しい風が入ると雰囲気が改善されたりします。
その生徒は内向的な性格ではありましたがたしかに研究室の雰囲気は明るくなりました。
しかも嬉しいことに、この生徒の所属元の教授は専攻でも有力な人で、うちの教授も頭が上がらない人だったので研究報告会で怒鳴っている姿を見られたくないのか教授はだいぶ大人しくなりました。
あの胃がキリキリする時間を過ごさなくてもよくなって個人的に7~9月は平和な時間でしたね。
ただ、この時に博士課程のYさんが「レポートを出さなくてもOKなのか」と誤解して事件が発生するのですが、それはまたこの時点では未来の話。
そしてこのくらいの時期から研究室の女先輩からパシられる事件も発生していました。
その女先輩はヒスパニック系の留学生で、日本語が喋れなかったのと体がめちゃくちゃ細かったんです。
そのため英語がある程度話せて、かつ頼み事を断らない性格をしている私を実験に手伝わせるようになりました。
ただ手伝わせると言っても研究室の設備で15kg程度の重さがある物を持ち上げて設備に被せる仕事を任されただけでした。
しかし遠くの実験棟にいた私を毎回呼び出すので少々ストレスがたまっていましたが、それでも研究室の雰囲気が格段によくなっていたのでまぁ許せましたね。
ただ少し腹が立ったのはこれだけ私に手伝わせていたのに、ちょっと肌が触れそうになると「宗教上問題あるから触らないで!!」と言われたことですね。
こっちだってお前に興味ないしこんだけパシっといて何言ってるねん!と思いましたが学生課などにたれこまれても困るので泣き寝入りしていました。
全然似てないけど雰囲気は上図のような感じでした。
比較的平和だった修士1年上期のまとめ
修士1年の間は比較的平和でした。
- 4~5月で研究室の実態に気付く
- 6月は絶望の夏休みを過ごす
- 7~9月は新人のおかげで雰囲気がよくなる。そして女先輩にパシられる
簡単にまとめるとこんな感じでした。
イイ感じの流れでこれから平和的にいけるとか思っていましたが、やはり教授は普段とは違うやり方を強制されてしまっていたのでだんだんとイライラしていきます。
さらに修士1年の後期になってから博士課程Yさんの行動もおかしくなっていきます。
そんな後期編はこちらのリンクから見られます。