【世界の変人】世界一かっこいい道を作る男 ダシュラス・マンジ
26年かけて岩を削り続けた奇跡の実話
人は信念だけでどこまで同じ行動を続ける事が出来るでしょうか。
インドのダシュラス・マンジの人生を知ると、その問いの一つの答えが出るかも知れませんね。
ダシュラス・マンジ(Dashrath Manjhi)は、1934年にインドの貧しい村ガヘラールに生まれました。
この地域は山と谷に囲まれた非常に貧しい村だったようです。
インドは生まれた時点で身分が決まるいわゆるカースト制の国で有名ですが
ダシュラス・マンジはその中でも最底辺に近い身分で産まれました。
彼は幼少期から厳しい労働に従事し、日雇い労働者として日々の糧を得る生活を送っていたようです。

そんな彼の人生を動かす大きな事件が起きてしまいます。
それが彼の最愛の妻であるファグニ・デヴィの死です。
この妻はマンジにお弁当を届けるために険しい山を越えようとして落ちてしまい重症を負いました。
マンジの住む村は険しい山々に囲まれていましたので最寄りの病院へ行くには山を越えて70km以上の遠回りをしなければならなかった。
当然間に合わず、最愛の妻は命を落とします。
この経験からマンジは
「もし山がなければ、妻は助かったかもしれない」
と思うようになって彼は行動を開始します。
そう、彼は村をよりアクセスしやすくするために、尾根を横切る道路を切断することを決意しました
これは山を大きく削るような大規模な工事になります。

突然山をガンガン削りだすマンジに対して周囲の人間は妻が亡くなっておかしくなったと口々に言いだしましたがマンジは
「丘を叩き始めたとき、人々は私を狂人呼ばわりしましたが、それが私の決意を固めました」
と変人らしくポジティブに捉えていたようですね。
マンジの執念はすさまじく、毎日朝から晩まで岩と山肌を砕き続けていました。
さらに工具もすぐに壊れて買い替える必要があるので日雇いで働いては工具を買い、休みの日は山を削る。
そんな生活を続けて26年後についにマンジは山を切り開き町まで70kmの距離を15kmまで短縮させたようです。
最初はマンジをおかしくなったと笑っていた村の人たちも昼食や水を差しいれるようになり、ついに山を切り開いたマンジに対してインド全域から尊敬の念を抱かれました。
さらにマンジが亡くなった際にはインド政府が国葬を執り行い、2011年と2015年にマンジが主人公の映画が作られ、さらに切手になるなどその偉業は語り継がれています。

ダシュラス・マンジは、特別な力を持っていたわけでもなく重機も、支援団体も、資金もなかった。
あったのは、たった一つの信念だけ。
「自分の手で道を作れば、他の誰かが苦しまずに済むかもしれない」
その想いで、26年間、毎日ノミとハンマーを握り続けた。
彼の物語は、壮大な英雄譚というよりも、静かで、しかし圧倒的な人間の強さを教えてくれる。